東北地方太平洋沖地震

東京都内にて。受けた被害はないけれど、経験として記録。

地震発生時、自分は駅の改札口手前の階段を上っている最中だった。立ちくらみでもしてるのかと思えば、どうやら地震で揺れている様子。人生初の揺れ方に驚きながら、何かが倒れる音がするわけでもなく、悲鳴の一つが起きるわけでもなく、駅全体の空気として落ち着いたものだった。

ホームに人がいるようだし、自分も乗り場に並んで電車を待つことにした。その間、駅員のアナウンスに怒鳴る酔っ払いの様な男性の声が聞こえてきた。運転再開までにどのくらいかかるのか知りたいようだった。そして、場合によってはタクシー料金を請求するぞと言う訳のわからないことも言っていた。小者臭がぷんぷんする。この状況で無理に運転させようという意識が働くのはすさまじい。

しばらく待っていると、電車が到着した。運転見合わせというアナウンスが流れていながらも、電車で帰れるなら楽でよいと思いしばらくは電車に乗って待ってみることにする。電車の中にいるときに起きた余震はすごかった。電車は人の乗り降りで揺れるだけに、地震発生時は相当に揺れる。さすがに不安になってホームに戻り、しばらくたって結局電車内で座って待つことに。

そうしてしばらくたつと、運転打ち切りが決まり駅の外への避難することに。ホームの人々は不安がる声はありつつも、騒がず整然と改札口へ向かっていく。当事者ながら、思わず感心してしまった。同時に、なんて訓練された変態たちだという気持ちもあった。

駅の外に出て、さてどうやって帰ろうかと帰宅手段を模索する。人身事故の時もそうだが、バスによる振り替え輸送というのは、いったいどのバスに乗れば自宅までたどり着くのかがさっぱりわからない。結局、今回もさっぱりわからず、一時間程度待ってみても電車の運転を再開する様子もなし。iPhoneユーザで外部装置もないためにワンセグ放送を見られるわけでもなく(後にニコ動やUstでもNHKを観られたことを知る)、仕方なくTwitterで様子を探りつつ暇をつぶしていた。街頭テレビに流れるアイドルのプロモーションビデオがいらつく。

どうしようもないので、線路沿いに歩いて帰ることにした。自宅までの距離は16km程度で、4時間弱で到着する距離(Google調べ)。同じように歩きで帰る人がちらほらいたため、後をついて歩いて行く。その途中、電気屋などのテレビで流れるニュースをチラ見すると、ものすごい火災が発生している様子。気になったが、テレビを観てても何が変わるわけでもなく、自分の状況が好転するわけでもないため、とにかく歩きに集中。

途中迷いつつも、優秀なGoogle Mapの経路探索に支えられふらふら帰宅。数km歩いた程度で、なまった体が悲鳴を上げ始める。股関節から痛み始めたというあたり、相当な不摂生さが伺われる。世間が災害による被害に涙を流すなか、不摂生に起因する股関節痛で涙を流すアラサー独り。

帰宅中の光景として、帰宅難民と駅封鎖以外に普段と変わることもなく。ごくごく普通の東京都内。電話を自粛していたために千葉県に住む家族の安否を把握していなかったが、母親からのメールが届いていることに気づき、どうやら停電などはありつつも全員無事だと言うことに一安心。自分が最大の被害(注:股関節痛)を被ったのかもしれない。

歩き続けてどれほどたったか。途中から駅名を確認せずにひたすら歩いていたわけだけど、大きな駅に到着してこれは2/3ほどの位置にあるあれか!?とおもえば、1/3の位置にある方で愕然とした。本当に自分は自宅にたどり着けるんだろうかと。たかが16km。されど16km。学生時代の50kmハイクが懐かしい。50kmも歩かされた意味はいまだにわからない。

がっかりしてても仕方がないので歩き出す。めんどくさい。本当にめんどくさい。けど、早く帰りたい。マンションが焼け落ちてないか。倒壊していないか。部屋が残っているとして、中の様子はどうなのか。東京都内では、九段あたりで天井が落ちたとか言うニュースがあるくらいで、それほど大規模な被害はないようだけど、それでもやっぱり様子がわからないから不安はあった。まあ、倒壊はないだろうけど。

とにかく歩いた。東京に出てきてから、一番歩いたかもしれない。そのくらい動かない。引きこもり具合に定評のある私です。駅が見える度にうれしくなり、同時に残りの距離を思い浮かべて鬱になる。Google調べの残り時間にイラッと来る。じゃあ、おまえが歩けよ。もう。

そういえば、この日は親知らずの診察のために歯医者を予約していて、そのために早退して昼過ぎに駅にいたわけだ。どうでもいい。親知らずとか、もう大して痛くもないし。本当にどうでもいい。繰り返しになるが、電話の使用を自粛していたので、予約キャンセルの連絡をする気にならず、また相手もされても困るだろうし、そもそも出られる状況にあるのか、営業できる状況にあるのかと。どうでもいい。何が親知らずだ。この恥知らず。

そうこうしている間に日も暮れて暗くなってきた。途中でタクシーかバスを使おうと思って、駅の周りに近づくんだけど、タクシーは気配がしない。バスはどれに乗ればいいかわからない。駅員に聞けばいいんだけど、聞かない。コミュ障だから。疲れた体にむち打って、ドーピングだと自販機で買ったコーラを飲み干す。ダイエット。赤はペットボトルで売ってなかった。持ち運べるようにペットボトルを優先。ダイエット。近くの公園で一気のみ。缶でよかった。ダイエット。

歩く。歩く。足が痛い。マメだか靴擦れだか。めんどくさい。しょうがない。歩き続けた。やばい。まずい。どうしたものか。不安はあった。後悔先に立たず。トイレに行きたい。尿意がこみ上げてきた。トイレを探す。見当たらない。ひたすら住宅街を歩き続ける。適当にインターフォンを鳴らして借りたらいいんだろうか。時期的に詐欺的のものと間違われそうだし、そもそも地震で大変だろうからやめておこう。そのうち、公園かコンビニがあるはずだ。駅に行けばトイレくらいあるだろう。

駅に着いた。封鎖されてる。ありえない。あけとけや。俺のために、あけとけや。トイレいきたいねんぞ。まあいい。まだ我慢できるし、少しでも自宅に近づくことが優先。何個か駅を通過するも、ひたすら封鎖されている。踊るを思い出す。封鎖できちゃってるね。えらいね。まあ、まじめな話、粛々と安全側に対応できている西武鉄道とその利用客には好感を持った。壊れた線路に気づかず脱線事故とか、嫌だもの。

そんなこんなで、ようやくあいている駅に到着。中に飲食店などがあるために開いている様子。改札の方までたどりつくと、駅員が客の対応をしていた。そして何より、改札口の向こうに輝かんばかりのトイレがっ。さすがの私も、このときばかりは何の恐れも抱かずに対処できた。「トイレをお貸しください」。ふぅ。

トイレ駅の時点で残り3駅。とにかく歩くのみ。駅立ち寄りの際はタクシー・バスチェックを忘れずに。懲りないね。残り1駅で何度目かわからない敗北を喫した後、気持ちを切り替え、イヤホンを耳に差し込み、音楽でテンションを上げて歩き続けた。ここまでくれば、周りの音が聞こえなくても大丈夫だろうという、よくわからない線引き。数分だろうか。ひょこひょこと歩いていたら、大きな通りに出た。妙な既視感。

ついた。ついにたどり着いた。思わず発狂しそうになった。濱口ばりに叫びそうになった。びーくーる。落ち着こう。まだ慌てる時間じゃ(ry。近くのコンビニに寄って食料を購入。水は無駄に買い込んであるから問題なし。最後の気力を振り絞り、最高速度で我が家へ。胸が張り裂けそうだ。息切れがする。運動不足。

マンションに着いた。倒壊もせず火事もなく、どうやら特に何の問題もなかったようだ。オートロックの玄関も問題なく動作していた。ただ、エレベーターは止まっていた。仕方がないので階段を使う。ヒーヒー言いながらも、妙なテンションでにやつきながら階段を上る。誰かとすれ違ったら通報されていただろう。

部屋の前にたどり着き、鍵を開け、ドアを開ける。玄関同様、ドアにはゆがみもなくすんなりとあいた。そして愕然。予想はしていた。覚悟もしていた。だが、しかし。パソコンも本も崩れ落ちて惨憺たるもの。不幸中の幸いで、パソコンの背中側からクッション的な位置に落ちたために、大事には至らなかった。文句を言っても仕方がないので、とにかく少しでも早くゆっくりするために片付けを開始。そのまえに買ってきた唐揚げを食す。温かいうちに食べないとね。

そうして一息ついてテレビをつけて知った震源地近くの状況。驚きの連続で、とにかく思うままにTwitterに投稿していました。投稿して何かがよくなるわけでもなく、自粛すべきだったかもしれません。とにかくひどい。津波で家が流され畑を覆い尽くしていく映像。しかも火がついたままの家が流れていく。近くの道路を車が走っているところも映っていました。津波が届かない高さの道路に取り残されているところも。また、数百人の遺体が発見されたという知らせも。

状況と余震が気になり、結局明け方まで起きていました。明け方に眠り、目が覚めてテレビをつければ、今度は原発の方で状況が悪化しているかの報道。またテレビを見続ける一日になりました。